自閉症

自閉症

自閉症は、発達障害の中核をなす発達上の特徴を持ったグループです。20年以上、自閉的な発達特性のある子供たちについて、広汎性発達障害(PDD)という呼び方がされていました。これは典型的な自閉症とその特徴を部分的にもった子供たちの総称です。
近年、自閉症スペクトラム(ASD)という呼び名が使われることが多くなりました。新版の米国の診断基準(DSM-5)もこの診断名を採用していますが、従来のASDと全く同一というわけではありません。
いずれにしてもこの呼称は、自閉症がその特徴をわずかにもつ者から多くを複合してもつ者まで、うまく社会に適応できる者からなかなか難しい者まで、知的に一般人より高い者から低い者までの多様なパターンを、連続的に含んだ複合体であることを意味しています(スペクトラムというのは、虹のように部分を取ればそれぞれの特色が際立っているのに、境界線がなく移ろっていく様子を指しています。)。

従来の診断基準どおりの自閉症は、①他人と社会的な場面で相互関係を持つことの障害、②言葉の表面的な意味にとらわれやすいといったコミュニケーションの質的な障害、そして③反復的・情動的な行動パターンがあることが条件とされています。この3項目は長い間、自閉症であることを判断する上での黄金律のように考えられてきました。
はじめの2つの項目は、他の人とのやり取りが年齢に従って発達していくことの、非言語的な側面での問題と言語的な側面での問題を指していると考えられるので、この両者にまたがるような特性も当然見られます。(そのためかDSM5では2項目がまとめられています。)3番目の項目は、いわゆる「こだわり」に関する部分、つまり対人的な相互関係以外の部分で、独特な考え方や行動の様式がまとめられています。社会的に孤立してしまいがちな彼らが独自の空想世界を作り、その中で起こることに執着するために、関心の偏りや、独特の繰り返しや、自分のやり方への固執が起こるのだと考えられてきたわけですが、近年はさらに、聴覚や皮膚感覚といった特定感覚の過敏さや、記憶やその想起の仕方の独特さなども、ここに加えて考えられます。
前半の2つの項目が、周囲の人たちとの関係の取りにくさに関係するもので、自閉症の本質に近い特徴と考えられることが多いようです。それに対して「こだわり」に関する項目は、独りでする行動の奇異さに関連していて、多くの自閉症の子供たちがそのうちのいくつかだけを持っているために、付随的な特徴と考えられています。
しかし、「こだわり」に関する項目に感覚や記憶といった脳機能に直接関連した項目が含まれていることから、あながち付随的とは言えません。むしろ、独特の感覚や記憶の様式が特徴的な対人関係のあり方を生み、それがまた独自の世界を作らせて感覚や記憶の偏りを増強するという、ニワトリと卵のような関係にある2つの要因なのかもしれません。自閉症の医学的な原因はまだほとんど解明されていません。医学だけでは解消できないものも含めて、いくつかの要因が関連し合っていると考える人もいますし、同様の外見を備えたいくつかの疾患の集まりだと考える人もいます

自閉症がこの世界に登場してまだ70年そこそこの歴史しかありませんが、その原因と言われてきたものはおびただしい数に上ります。それは新しい特効薬であると名乗るものが次々と登場する歴史でもあったわけですが、そのどれひとつとして現在まで生き延びたものはありません。真実も初めはそのようなものの一つとして登場するのかもしれないので、新しいものを頭から否定することはできませんが、幻影を追うことで子供たちをこれ以上の不幸に晒すことは許されません。
こうした自閉的な一連の特性をもつ子供たち、あるいはその一部を持つ子供たちの数が増えてきていると言われます(実数が増加しているのかについてはまだ議論があるところです)。このため、原因は分からなくても、早くから何らかの対応を取ることが考えられてきました。少しでも早期に介入した方が、子供たちの生きやすさにつながることが、経験的に分かってきたからです。

発達の早期から子供たちに関わることによって分かってきた最大の収穫は、彼らもまた発達を続けているという、当たり前の事実ではないでしょうか。他人に関心を持たないとか、他人の気持ちが読めないとか言われてきたわけですが、実はそうではなくて、他人に関心をいだくようになるタイミングが他の子供とは違っていたり、表現の仕方が違っていたり、皆と気持ちを合わせる必要を感じていなかったりするのです。
直接的なやり取りに耐えられないほど繊細なのだと言うこともできるかもしれません。こうしたことを修正できるような発達をしていければ、他の子供たちの中で生活する上での摩擦は少なくなるはずです。
枠の作り方にも特徴があると考えられます。枠というのは自分の行動や発想を逸脱しない範囲に制限する限界ラインのことです。
子供たちは生まれながら様々な枠を持っていますが、共同生活をするうちに枠を共有していた方がうまくいくことを学び、他の子の影響を受けるという意味では柔軟性のある、共通の枠組みを身につけるようになります。社会性と呼ばれるものです。この共通の枠組みを獲得するプロセスは大人になるまで続いていって、やがて社会という巨大な枠組みに参加することができるようになるわけです。
自閉的な特性をもつ子供たちは、この枠組みを他の人と共有するということに時間がかかってしまいます。あるいは、一度できた枠組みを、状況に応じて変化させることが上手ではありません。そうすると、独自のいくぶん硬い枠組みができあがります。
この枠組みが他の子供たちと重なっていれば、「学校は絶対に休まない」など問題は起こらないのですが、少しずれているとなかなかやっかいです。「学校に行くときに必ずポストにタッチする」と心に決めてしまった場合のように、それが何かの事情で可能でない場合にも、その枠組みを崩すことがなかなかできないからです。
この枠組みがそれを阻むものと衝突する感覚はかなり強烈なものなので、感情のコントロールも難しくなり、これが頻回に起こるような場合には薬物を使用することも考慮せざるを得なくなります。しかしこれが原因への対処でないことは、常に留意をしなくてはなりません。

幼児期の問題がそれほど大きくなく、学校にあがってから様々な問題に出会う子供たちが目につくようになってきました。
周囲の子供たちとの関係も含め、自分が周囲と違うことに気付くことによる一連の問題があります。これは、他のタイプの発達障害とも共通する問題です。
それとともに、自閉的な特徴を持っていることが、大人になってから明らかになる人たちも予想外に多いことが分かってきました。そのような人たちが幼児の頃には、まだ自閉症に関する知識の蓄積も少なく、診断されることへの抵抗感も強かったのかもしれません。
同時に幼児期に見られた小さな特徴が、成人になってからの問題を引き起こすとは、誰も予想しなかったのです。幼少期からの支援が受けられなかった分、そうした人々は人生の新たな困難への直面を迫られることになります。そのような人々も含めた成人期の支援に、これまで以上の力が注がれなければならなりません。

自閉的な特性の一部を持ちながらも、社会的には問題なく適応している人もいます。一般の人々と何ら区別をする必要はありませんが、スペクトラムであると考えればそれは当然のことです。
彼らの特徴は「自分の気が済む」ことがその人の中で占める価値でとても高いことです。他の人であればより価値が高そうな自分の利害、他人への顧慮、他人の評価、社会的制約などよりも「自分の気が済む」ことの方が、よりウエイトが高くなりがちです。このため「気が済まない」こととはなかなか折り合いがつきません。
でも、その人が「気が済むまでやる」ことが価値を生み出すような、例えば研究のような仕事や、緻密さを要求される作業に従事すると、普通の人ではまねのできないような成果を残すことができるのです。
私たちの時代が、自閉症というものと正面から取り組まなければならない時を迎えていることは間違いありません。できることなら誰もがこの問題に誠実に向き合い、誰にとっても実りのある結果を出していきたいものです。

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